■転勤族から定住者に。馬との暮らしに惹かれて
(文・萬年とみ子/スロウ66号掲載)
「ここに居つこう…」。およそ3年前、鈴木貴也さん、ももこさん夫妻が別海町に移り住み、暮らすことを選び取ったときに決め手となったこと。その理由。編集部のある帯広市に戻り、あの日のことを思い起こしながら、ひとり、夫妻の生き方に思いを巡らす時間は想像以上に楽しいものです。
ふたりを前に、隠しようもないくらい次から次へと湧き上がってくる好奇心。「何故、別海町に? 馬?カヌー?」。…そうなんです。やりたいことや好きなことが、次から次へと雲のように湧き出してくるとき、人は割合、思いきり良く、まだ見ぬ世界に飛び込めるものなのかもしれません。
次第に、そんな確信めいた結論が導き出されてきたことで、フウッーと大きく息ができるような、軽やかな気分に包まれる瞬間。このタイミングで、貴也さん、ももこさんの物語を紡いでみることにしましょう。
転勤族として家族を伴いながら、長年にわたって北海道内を点々としながら暮らしてきた鈴木夫妻。旭川市、遠軽町、別海町などなど。新しい土地に馴染み、友人をつくり、暮らしを楽しみながら過ごした年月。太郎くんというひとり息子も授かりました。
そこにはきっと、若々しさと冒険心に満ちた日々があったことでしょう。そんな暮らしに別れを告げ、ひとつの土地を選び、定住しようと決意を固めたとき、決め手となったのは意外なことに、ここ別海町に「馬と暮らせる環境」があったことだったようです。
■馬が居て、カヌーがあって。果たして、どんな暮らしが?
北海道の東の果て、別海町。永遠とも思えるくらい、どこまでも続く酪農地帯ならではの風景。深まりゆく秋の日差しを感じながら辿り着いた先に見えてきたのは、これまた広い離農跡地のような場所に、ポツネンと立つ一軒家でした。恐らくは、リノベーションによる今風の佇まい。家までのアプローチ。枯れかけた草の繁る道を進んでいくと、左下に広い放牧地が見えています。草地に放されているのは3頭の馬。訪問者など、どこ吹く風。のんびりと戯れる馬の様子に見とれて、思わず我を忘れてしまうほどの長閑さです。
玄関先に置かれている4駆の車の背にくくりつけられているのは、きれいな色にペイントされたカヌーです。「馬とカヌー…」。玄関先に下げられた大きめの鈴(多分、スイスとかの国で牛の首に付けているアレ)を右へ、左へ。大きく揺らすたびに響く鈍い鈴の音。そんなことに気を取られていると、いつの間にか、丸い顔によく似合う大らかな笑顔に迎えられていました。「遠いところ…」。挨拶を交わし合っているうちにたちまちにして心がほぐれ、柔らかな感情がゆっくりと溶け出してくるのがわかります。
パートナーのももこさんも一緒になって薦めてくれた座り心地のいいソファに腰を下ろすと、さらに、すっかり寛いだ気分になって、興味津々、辺りをキョロキョロと見回している私がいました。
■馬と暮らしたいと伝えると、離農地を譲ってもらえることに
埼玉生まれの貴也さんと北海道は瑞野(現在の北見市)生まれのももこさんが出会ったのは、ふたりが公務員として働いていた別海町でのこと。林業関係の仕事に携わっていた貴也さんは、いわゆる転勤族でした。最初は夫婦ふたりで、途中からはひとり息子の太郎くんも加わって、小さめの町村などを数年単位で点々と移り住む暮らしがあたりまえのように続いていました。
それぞれの土地に愛着を感じながらも、馴染んだ頃には別な土地へ。都会とは大きく異なる田舎暮らしは、きっと3人の肌に合っていたのでしょう。仕事の傍ら、シーカヤックやカナディアンカヌーなどに手を染め、冬になると山に入って鹿撃ちを楽しむ貴也さん。一方、ももこさんは小さい頃から何故かポニーが大好きでした。「別に、動物が好きというわけじゃないのに、ポニーだけは…」。仔馬に魅せられ、引き馬の世界に憧れ、小さな馬の背に乗りたいと願うももこさんがいました。
転勤族の夫妻にとって、別海町で暮らすのは2度目のことだったようです。すでに顔馴染みも多く、友人づきあいのできる人たちもいるところ。あるとき、ポニー好きを自認するももこさん達の前に、「良いポニーを譲るよ」という人が現れます。「隠し財産」からお金を用意したももこさんは、念願だったポニーを自分のものにしてしまいます。乗馬にも使えるすばらしい馬。
一緒になってポニーと遊ぶうちに、「俺も馬がほしい」と思い始めたのが貴也さんでした。実は別海町を含む道東には、馬を飼い、馬と暮らし、草競馬を楽しむ土着の馬文化が残っています。根室、厚岸、浜中、中標津、そして別海町などで古くから開催されていたという草競馬。残っているのは、今では別海町だけですが、馬がほしいと思い始めた貴也さんが、短期間で馬主になれたのには、そんな土地柄もあったようです。
ももこさんのポニー、そして貴也さんの大きな馬。彼ら(彼女?)を放して飼うだけの広い土地がほしいと思い始めたタイミングで、夫妻は現在の離農跡地と出合うことになります。
通常では、そんなに簡単には手に入らない離農地ですが、「馬を飼いたい」と伝えると、快く土地を譲ってくれたのだそうです。さすが、今も草競馬を絶やさない別海町です。住まう場所を手にすると、さらに、その農家から馬を放し飼いにするための2ヘクタールあまりの草地まで借りることができました。
■好きなことを活かして起業。新たな道を歩き始めた夫妻
昨年夏から始まった住まいのリノベーション。友人の大工の手を借りながらも、自分たちの手で造り上げていく新居です。基礎と外壁部分、そして屋根はすでに完成。室内の細々とした部分は、住みながら手を入れていこうという計画を立てています。
さて、鈴木家の新しい暮らしにとっては、きっとここからが本番に違いありません。欠けているのは、生計を立てていくための手段。多くの人にとっては多分、「生計を立てる手段」が移住の際の最優先事項に掲げられることでしょう。ところが、鈴木夫妻のそれは「馬と暮らすこと」でした。「さあ、どうする?」。でも、案ずることなかれ。「好きこそ物の上手なれ」ではありませんが、好きなことのその先に開けていたのが、「起業」という道だったという展開には、心から納得できるものがあります
生計を立てるために、「起業すればいいだけじゃん?」と夫妻が考えたかどうかは不明ですが、好きなことを優先させたふたりが、結果として選び取った生計を立てる手段が起業することだったということなのでしょう。
「鈴木干肉店」の代表はももこさん。この春からエゾシカジャーキーを作り、販売を始めています。鹿肉に目がいったのは、貴也さんが昔からの「鹿撃ち」だったからでもあるのでしょう。年に何回か、雪の積もる冬になると深い山に入っては鹿撃ちを続けてきた貴也さんがいます。
ずいぶん昔から、自分で仕留めた鹿を森から担いで持ち帰り、ジャーキーなどにして食べていたのだそうです。その経験を活かしてのジャーキー作りですから、実に年季が入っています。「ほんとうは何種類かの味を用意していた」そうですが、まずは味を1種類に絞ってスタートすることにしました。
一方、貴也さんも「北海道アウトドアガイド」の資格を取り、来年の6月には独立して仕事を始めることになりそうです。
20年以上も前に始めたカヌーですが、北海道を訪れた母親をカヌーに乗せて遊んだときに経験した「誰かの喜びの手助けができること」の喜び。忘れがたいその時の経験は、今も貴也さんの胸に生きていて、これを機会に「自然ガイドへの憧れ」を実現させようとしているところです。「OUTLAND」の看板を掲げるその日を想像するだけで、ワクワクしてきます。