■yurisukeの銅のものづくり
(文・片山静香/スロウ59号掲載)
平らな銅板から、鍋や時計を一つひとつ手づくりする。既製品を買うことに慣れきった頭にはおよそ想像もつかない世界が、yurisukeの竹島俊介さんの“手しごと”だ。
岩手県出身の竹島さん。大学時代に専攻していた金属工芸の中でも、“鍛金”という手法に魅せられ、彫金工房での5年の修業の後、2012年に独立を果たした。素材は銅。線状や板状のそれを、金づちでトントンと叩くことで伸ばしていく。叩くことで金属を成形すると同時に、硬く鍛えるという目的もある。
作るものは、鍋やコップなどのキッチン道具やインテリア、アクセサリーなどだが、それらは楽器や音符を模していたり、ちょこんと双葉が生えていたり。素材が硬い金属であることを忘れさせる、軽やかなメロディすら聞こえてきそうなデザインは、妻ユリエさんによるものだ。
「世の中にキッチンアイテムは山ほどありますが、自分でつくるということは、それが毎回“初めてのものとの出会い”になるんです」と、竹島さん。なにせ、素材はまっさらな金属の板。2本の腕と金づちで、自らのイメージをゼロから立体へと作り上げていくのだ。作っても作っても、次に試すべき新たな可能性の広がりが感じられて、好奇心は尽きない。
鍛金は、地道で根気が必要な作業。当金という鉄の棒の先端に加工する銅板を乗せ、少しずつ回しながら金づちで打ち出す。叩いて硬くなったらバーナーで熱することで、また軟らかくなり、成形可能になる。この工程を「なまし」と呼ぶ。
竹島さんが由仁町で暮らし始めて2年ほどが経つ。高校生の頃に列車で巡った北海道の風景が忘れられず、ユリエさんと共に2007年に北海道へやって来た。その後長男の照道くん、次男の和豆(わと)くんが誕生し、今は4人家族。移住後はしばらく札幌で暮らしていたが、独立のタイミングで新たな工房を探し始めた。そして2014年、縁あって由仁町の今の場所に工房兼ギャラリーと自宅を構えることを決め、移転の準備を始めた。
築65年の元農家の母屋と納屋。何より、木の幹をそのまま使った立派な梁や、柱に使われていたナラ材に惚れ込んだ。工房の必須条件である、音を出しても周囲の迷惑にならないという立地もクリア。さらには庭で野菜を育てたいという希望も難なく叶えられそうな場所だった。
とはいえ、すぐに住める状態ではない。柱と梁以外のほぼすべてをいったん解体して作り直さなければならないほどの大工事が必要だった。しかしその作業さえも制作のヒントになるかもしれないと、竹島さんは自らの手でやり遂げることにした。制作の合間を縫って、コツコツと。
結局、解体し、床を敷き、外壁を貼るところまでで4年。今は壁に断熱材を入れて内壁を作っている途中。最終的な完成までにはまだ時間がかかりそうだ。
しかしながら2019年春、待望のギャラリー部分が形になった。竹島さんの作業場となるスペースは断熱材さえこれからという段階なのだが、出来上がった作品を展示するギャラリー部分は、先に完成。北国に訪れた遅めの行楽シーズンを前に、「空港からも近いし、素敵なお店がいくつもある地域だから、遊びに来たついでに立ち寄ってもらいたいと思って」とは、ユリエさん。
全国各地のクラフトイベントやセレクトショップへ納品する度に、「手仕事のもの、クラフトの価値を理解してくれる人と出会いたい」と、いつも思い続けてきた竹島夫妻。一点一点手づくりで、同じものはふたつとない作品。手間もアイデアもたっぷりと注ぎ込んだ分、決して安いとは言えない価格になってしまう。しかしそれでも、ユリエさんのデザインと竹島さんの技術が合わさったyurisukeの生活道具を、毎日手に取って使っている人がいる。「あたりまえですが、僕の作品は金づちがないと作れない。そんなふうに、何かするときに『なくてはならない道具』とか『あるとホッとするもの』を作りたいと思いますね」。
作り手と使い手が理解し合う、理想的な関係性。単なる売り買いではなく、売り手は大切に作り、買い手は大切に使う。ある種、相互に責任感を生じさせるようなものづくり。出来上がった作品の向こうに竹島さんがトントンと銅を打ち出す姿が見える「工房併設のギャラリー」は、その思いを実現させるための大切な拠点になるだろう。
単調な打刻音の反響に包まれるようにして銅を打つ、真剣な眼差し。声をかけるのが憚られるほどに、緻密で繊細な作業。振り下ろされた金づちの一打のすぐ脇に、立て続けに下ろされる次の一打。徐々に立体的な形を結び始めた銅板を左手で僅かずつ回しながら、右手は寸分違わぬ精度で金づちを振り続ける。
「自分が本当に『良い』と思っていなければ、作れないですよ」と、ポツリと漏らす竹島さん。新しい作品に取り組むときには、他でもない自分自身が、「早く完成品が見たい」と思えるようでなければならない。手の中で徐々に形を成していく作品。鍛金の手法を選んだからこそ得ることができる、常に自らの手で触れながら完成に近づけていく楽しさは、これを生業にして何年が経っても、変わらず竹島さんの創作の原動力になっているようだ。「銅の打ち出し物の産地である新潟などに行ったり、他のところで自分以外の作家の作品を見ても、やっぱりすごくワクワクするんですよ」。
「作りたい」。何の言い訳もせずに、シンプルにただ純粋にそう思える瞬間が、もしかすると、竹島さんのものづくりの本質に一番近いのかもしれない。もちろん生活のことを考えれば、商売という視点を無視することはできない。しかしどうだろう。「作りたい」の気持ちなくしては、こんなにも柔らかで楽しげな曲線は生まれないのではないだろうか。そしてこの「どう見ても手づくり」の陽気な作品こそが、yurisukeの最大の魅力なのではないだろうか。
好きだからこそ真剣になれるし、その結果、次の課題も見えてくる。だから作り手は作品に対して最後の最後まで向き合うことができる。それは、「好きなことに真面目に向き合う」という点において、使い手が十分に吟味した道具を大切に使う行為と、一致している。作り手も使い手も分け隔てなく、真剣にそれぞれが本当に必要とするものを作り、選び出す世界。こんなにも物があふれる今だからこそ、あたりまえのように誰もが、本気で“物”と向き合っていけたなら。懐古主義的に手仕事を擁護するのではない、これからのものづくりの在り方は、もしかするとこんな小さな工房から、朴訥と語るひとりの職人の手の中から、生み出されていくのかもしれない。