2021 Jan
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阿寒古道-2

確かな一歩を感じながら

公道として後々まで使われていた里の道に続くのは、道なき道を行く「川の道」。阿寒川沿いのルートは、その昔は一本の馬車道だった。開けた平らな地から、原生林が生い茂る森の中へ。いよいよ里から山へと入った、という感覚になる。鹿や熊の糞、水鳥たちの鳴き声、動物の足跡などがあり、多くの生き物たちが踏みしめたことによってできた道は、自分もまた自然の一部であると感じられる道だった。アイヌの人々は、昔川沿いに住居を構え、狩りなどがあると阿寒湖まで出向いていたらしい。武四郎の日誌には、そんな彼らの住居に宿泊したり、交流したという記録が残されているそうだ。川の流れを使って木材を流送していたとみられる、貯木施設の跡もわずかに残る。周りを山と川に囲まれた谷のような場所で、広く見通すことはできない。

ひたすら川の上流に向かって進む。阿寒川と支流のイタルイカオマナイ沢が合流する地点で道は二手に分かれる。阿寒川に沿っているまりも国道と、山に入り峠を越える道。湯治客などは、夏場を街で過ごし、冬になると、この道を通って阿寒湖の温泉に行き、そこで冬の間を過ごしていたのだという。ここから続く、16キロの「山湖の道」は、前田一歩園財団の所有地となる。

阿寒一帯の森を所有する前田一歩園を創設した前田正名(1850~1921年)は、日本産業振興の祖といわれている人物だ。明治2年(1869年)にフランスへ留学し、万博の際には日本館の館長として浮世絵や漆などを紹介した、政府の要人でもあった。晩年には全国各地で農場経営や山林事業を展開。前田一歩園の3600ヘクタールにも及ぶ敷地は、明治39年(1906年)に国有未開地の払い下げを受けて、牧場として拓いたのが始まりだと伝えられている。前田正名は、いち早く阿寒の森の美しさ、豊かさ、自然との共生の必要性を感じ、材料としての木材ではなく、観るための木として森を育んできた。針葉樹と広葉樹が混生した、さまざまな生き物が生きていくことのできる300年前の原始に近い森づくり。その意志は現在の前田一歩園財団が引き継いでいる。

「それまでの阿寒湖畔は、アイヌの人たちが狩りや硫黄採掘に訪れる地域で、定住する場所ではなかったんです」。昭和29年(1954年)には、アイヌコタンをアイヌの人々に無償で貸与するなどアイヌと共存していく姿勢も見せている。道東のアイヌの文化発信地として知られている阿寒湖温泉一帯は、そんな前田家の思いがあってこそ守られてきたのではないかと推測する。阿寒に寄せる正名の思いは「前田家の財産はすべて公共の財産となす」という家訓とともに、2代目園主前田正次から、その妻光子へと受け継がれた。3代目園主を継いだ光子は、生活の拠点を東京から阿寒へ移し、地域の人々や職員とともに山林の経営、環境保全に努めた。そして、後世にまで阿寒の自然を残したいと、前田一歩園の財団法人化に力を尽くしている。―つづくー(「スロウ vol.43」2015年春号 取材・文/鎌田暁子)

阿寒古道-1
■阿寒古道-2
阿寒古道-3

話の主は…

クスリ凸凹旅行舎

釧路市美原3丁目58-8

TEL.0154-37-6513

http://dekoboko.biz

きょうの話は…

雑誌「northern style SLOW」vol.43 early summer 2015より

https://www.n-slow.com/books/books-146

※「northern style スロウ」は、2004年に創刊した北海道発の季刊誌です。
大自然の恩恵を受けながら、丁寧に心豊かに暮らしている人々を、これまでにたくさん取材してきました。
できるだけ多くの方々に伝えたくて、少しずつですがWeb Magazineで紹介していきたいと思います。
毎週月曜日に1話ずつ。ぜひお楽しみください。
http://www.n-slow.com/concept

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