2021 Jan
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阿寒古道-1

確かな一歩を感じながら

阿寒クラシックトレイル。阿寒本町から阿寒湖温泉までの全行程約60キロを、3つのコースに分けて歩くツアーが始まったのは、ごく最近のことだ。動物たちやアイヌの人々が踏み分け、松浦武四郎が探訪し、阿寒湖温泉の地主、前田正名が行脚した道。里、川、山、湖と起伏に富んだコースは、武四郎が歩いたであろう道を推定して設定されている。阿寒町市街地をスタート地点とする「里の道」、阿寒川の川筋沿いに北上する「川の道」、小さな峠を越えて眼下に阿寒湖を望む「山湖の道」と、バラエティ豊かな3コースだ。

 

「ある時期は敵国に対する防御のための道だったり、またある時期は武四郎が蝦夷地探検のために通ったり、道ひとつに歴史が積み重ねられているんです。研究会を作ったのも、そんなふるさとの歴史を学びながら歩こうというコンセプトがあってのことです」と話してくれたのは、阿寒クラシックトレイル研究会に所属しているクスリ凸凹旅行舎の塩博文さん。釧路市役所で長く観光の仕事に携わり、退職後にアウトドアガイドを行う会社を立ち上げた。そのユニークな社名は、幕末に釧路地方が「久摺(クスリ)」と呼ばれていたことに由来する。クスリとはアイヌ語で「薬」を意味しているという。

「凸凹」は、釧路湿原のヤチボウズとヤチマナコ、阿寒の山と湖を表現。「私の頭の中を象徴しているんですけどね。それに、人生でこぼこのほうが面白いと思っています」と笑う。目の前にある自然のみを案内するのではなく、地域の歴史を学びながらのガイドツアー。ガイド業に文化的な要素を盛り込んで提供していきたいという塩さんの、ふるさとへの思いが感じられる。会社として独立してからも、以前からつき合いのあった阿寒近隣のガイドたちとの情報交換は欠かせない。そのメンバーで阿寒の歴史や道などの勉強を始めるうちに、「古い道を歩いてみようか」という話が持ち上がった。1年後にはモニターツアーを実施。2014年からは、「阿寒クラシックトレイル」として開催するようになった。

古くは1807年。江戸幕府がロシアからの脅威に備えるために、釧路と網走をつなぐ網走山道を開削した。その工事にはアイヌの人々を労働力として使ったとされているが、そもそもこの林道は、アイヌの人が狩りで使っていた道だし、さらには鹿や熊なども通っていた獣道でもあった。その後1922年には、雄別炭鉱へと続く雄別鉄道が敷かれ、1970年に閉山するまでのおよそ50年間は鉄道として使われていた。炭鉱の閉山に伴い廃線となった線路は、現在近代産業遺産として残されている。網走山道、雄別鉄道の果たした役割は、その後、まりも国道(国道240号)に引き継がれ、釧路と阿寒とを繋ぐ主要道路として今も広く利用されている。実際、いつも通っているまりも国道のすぐ脇の森の中に、鉄道や山道があったことなど、これまで知る由もなかった。現在の国道に、近づいては離れを繰り返しながら歩く里の道は、改めて自動車の便利さや、道の重要性を感じさせてくれるものだった。―つづくー(「スロウ vol.43」2015年春号 取材・文/鎌田暁子)

■阿寒古道-1
阿寒古道-2
阿寒古道-3

話の主は…

クスリ凸凹旅行舎

釧路市美原3丁目58-8

TEL.0154-37-6513

http://dekoboko.biz

きょうの話は…

雑誌「northern style SLOW」vol.43 early summer 2015より

https://www.n-slow.com/books/books-146

※「northern style スロウ」は、2004年に創刊した北海道発の季刊誌です。
大自然の恩恵を受けながら、丁寧に心豊かに暮らしている人々を、これまでにたくさん取材してきました。
できるだけ多くの方々に伝えたくて、少しずつですがWeb Magazineで紹介していきたいと思います。
毎週月曜日に1話ずつ。ぜひお楽しみください。
http://www.n-slow.com/concept

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