金澤俊哉さんの挑戦-1
ここは、黒松内町にある西熱郛(にしねっぷ)原野。起伏のある土地の一角に、かつて農家だったと思しき民家と牛舎が建っている。牛舎の裏で鳴り響くのは、チェーンソーの激しい機械音。雪原の静けさを切り開いて空にまでこだまする。白い地面に木屑が降りかかり、みるみるうちに茶色に変化していく。
チェーンソーを操っているのは金澤俊哉さん。この離農跡の民家に暮らしながら、「きこり屋」の看板を掲げて薪を販売している。林業関係の仕事に就いて7年目、きこり屋は3年目ということで、自らを「きこり見習い」と名乗る。
金澤さんの仕事内容はつまり、山で切り出された丸太を買い、チェーンソーで一定の長さに切り、細かく割って、乾燥させたものを売ること(顧客の要望によっては割らずに、もしくは乾燥させずに販売することもある)。
おそらく現在、本業の傍らで薪を販売する建築業者や農家はいても、薪屋を本職としている人は他にいないのではないだろうか。しかし、金澤さんはあえてそこに切り込んだ。世界へも広がる可能性の価値と、目指すところへの道筋を見つけたからだ。
そう、こうして雪荒ぶ黒松内の原野で、たった1人薪をこしらえることになったのは、意外にも数年前に旅したというアジアでの経験から始まる。
はたして、その志とは。
「今、僕がこうしてここに生きているのはラッキーなんですよ」。
大学卒業後に勤めた公務員を退職し、原付に乗っておよそ10ヶ月間、単身アジアを旅して心からそう感じたという。もしかしたらどこかの国で犯罪に巻き込まれていたかもしれないし、飛行機が墜落していたかもしれない。もしくは、生まれる国が違ったら、生まれながらに貧困だったかもしれない。日本という恵まれた国に住んでいるとわかりにくいけれど、今ここにこうして生きているという事実は、幸運であることに他ならない。
「だから、死ぬときに人生楽しかったなって思うことをした方がいいでしょ。人に迷惑さえかけなければ、やりたいと思ったことはやらないと」。実際に一歩を踏み出した金澤さんの口から出ると、聞きなれたこんなセリフも重みを増す。
金澤さんがインドやタイなど旅の道中で目にしたのは「貧困」と「乾燥」だった。経済的な貧しさと、干上がった土地の貧しさ。その2つが混ざり合った世界を目の当たりにして受けた衝撃が、残りの人生の矛先を大きく変えることとなる。
「初めは彼らの自立支援を考えたんですよ。でも、僕には資格も技術もない。それで、まず乾燥の方をどうにかしようと思ったんです。自立支援のさらにベースとなる、乾燥を抑える段階の木を植える仕事をしよう、と」。木を植えることで砂漠化が抑えられ、それが最終的に回りまわって貧困の格差の解消にもつながるはず、と考えたのである。―つづくー(「スロウvol.20」2009年冬号掲載、写真/高原 淳)