宮本夫妻の田舎暮らし-1
宮本弘夫さんと豊子さん。2人と過ごす時間はいつも、明るい笑顔とモノヅクリ、おいしい料理に彩られている。
札幌で暮らしていた宮本夫妻が田舎暮らしを考えるようになったのは、子ども3人を無事に社会に送り出した2003年のことだった。「子どもたちが『お父さん、もういいよ』って言ってくれて」。と、少し照れくさそうに話してくれた弘夫さん。それまで家庭を支え続けてくれたお父さんに、これからは好きなことをして過ごしてほしい。そんな思いが込められた、子どもたちからの言葉だった。
弘夫さんの生まれは和寒町。「田舎育ちなもので、都会暮らしはもういいかなと」。第二の人生を歩むなら、田舎がいい。「山でも買って炭焼きでもやろうか、なんてね」。喜茂別町の森を含む土地がたまたま売りに出されたのは、そんなことを考えていた折り。「喜茂別には縁もゆかりもなかった」が、豊子さんの実家である洞爺湖町と、その頃には札幌に転居していた弘夫さんの実家とのちょうど中間地点だし、「ちょうどいいかと思って」土地を購入することにした。
森の中に建てる新しい家はログハウスにしようと決めた。巡り合わせの妙とでも言うべきか、弘夫さんが生まれた年に植えられた、太さも価格も手頃な道産カラマツを入手できることを知り、「運命めいたものを感じて勢いで」100本の立木を購入した。
もともとログハウスが好きだったという弘夫さん。「家内もログハウスに住みたかったみたいで」という言葉に、すかさず豊子さんが返す。「自分で建てるつもりは、なかったんですけどね」。そして2人で顔を見合わせて、アッハッハと楽しそうに笑う。
そう、なんと宮本さん夫妻は手作業でログハウスを建ててしまったのだ。まず手をつけたのは100本のカラマツの皮を1本ずつ剝いでカンナをかけ、防腐剤を塗る作業。聞いているだけで気の遠くなるような話だ。
当時56歳だった弘夫さんは早期退職を決めた。購入した土地の敷地内に簡易的な小屋を建てて豊子さんと2人、そこに寝泊まりしながら、過酷な作業に明け暮れたという。
「スコップを皮に当てて、こう、ジャーン! ってすると剥がれるんですよ」。握ったスコップを横に滑らせる動作をしながら弘夫さんが説明する。2人がかりでやっても、1日1本のペースが精いっぱいだった。「全然手入れされてない木だったから節が多くてね。生えてるときは真っ直ぐに見えるんだけど倒してみると意外と曲がってて、皮が剥ぎにくくて大変だったね」。
皮むきが終わったら、今度はそれを組み上げる作業に入る。そちらも「ログビルダーさん」の指導を受けながら、屋根と基礎以外のほとんどをやり遂げてしまった。
「木は根元が太くて先に、いくほど細くなるから、交互になるようにして、12段積み上げるんですよ」。大変だったと言いながらも、いきいきと当時のことを語る弘夫さん。体力的にも技術的にも大変だったのは間違いないのだろうけれど、決して嫌なことではなかったのだと、その表情を見ればすぐにわかる。
家が出来上がるまでには4年もの歳月を要した。その間に、トラクター用の倉庫、作業場、薪小屋、車庫までも手作業で次々と建てたというのだから、ひたすら驚かされるばかりだ。以前から大工仕事が好きだったという弘夫さん。モノヅクリへの情熱が、ここぞとばかりに発揮された結果だった。ーつづくー(取材・文/家入明日美)
◾️宮本夫妻の田舎暮らし-1
◾️宮本夫妻の田舎暮らし-2
◾️宮本夫妻の田舎暮らし-3