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理想の暮らし方、生き方は人それぞれ。林田ナオさんは田舎暮らしに憧れて、家族と共に札幌から当別町に移住してきた。「移住して、子どもたちと最初にやったのは、家の床でドンドン跳ねること(笑)。外に出て大声で歌ったり、星を眺めたり」。そんな些細なことも、以前はなかなか難しかった。札幌に住んでいたときのことを、ナオさんは振り返る。「周囲はアスファルトばっかり。公園で子どもたちと遊んでいても、ルールが厳しくて」。あれもダメ、これもダメ。共同生活を送るうえでの決まり事とはいえ、幼い子どもたちに「ダメ」ばかりを強いることに、常々疑問を感じていたという。また、ナオさんは花好きで、ベランダガーデニングなどを楽しんでいたそうだが、「使った土を捨てる場所もない」。そういった日々の違和感が重なって、「田舎暮らし」への憧れをますます強いものにしていったのだそうだ。
「もともとが、田舎育ちだったから」。ナオさんは大事な宝物の箱をソッと開けるように、少女時代の思い出を聞かせてくれた。札幌の郊外にあったというナオさんの実家。元農家の祖母が、家庭菜園で育てた野菜を食べさせてくれた。通っていた学校も「山の中」。1学年10数名の小規模さは、学年を超えた友人関係を育んだ。「お兄さん、お姉さんたちと一緒にままごとをして遊んだり、山の中に秘密基地を作ったり、虫を捕まえたり…」。そんな子ども時代と比較すると、札幌でのマンション暮らしは少々「窮屈」に思えた。子どもたちにも自然の中で思いきり遊べる暮らしをさせてあげたい。どちらかというと「都会で暮らしたい」タイプだったという夫、ヨシキさんを説得して、土地探しをスタートする。
当別町に移住を決めたのは、不思議な縁があってのこと。偶然にも当別町の辻野建設(本誌50号参照)が、田園住宅をコンセプトに土地の分譲を行っていたところを通りかかったのがきっかけだった。その後、自宅に投函されたチラシを見ながら問い合わせてみると、分譲地は残りひとつとなっているというではないか。「運命なんでしょうね」と、ナオさん。土地を見に行ったその場で「コレくださいって、言ってました。よっしゃ! みたいな(笑)」。ナオさんは子どもたちの転校手続きも手早く済ませ、家族5人、揃って移住する。今から10年ほど前のことだ。
実際に暮らしてみて、「子どもたちにとっては一長一短だったかな」とナオさん。友だちを呼んで敷地内にブランコやツリーハウスを作るなど自然と親しめる暮らしを楽しむ一方で、友だちが近くに住んでいない環境は寂しくもあったようだ。「すごく良いところに来られた!」と笑うときも、「何でこんな田舎に…」と不満をこぼすこともあった子どもたち。けれど「これはもう、しょうがないですね」。気持ちいいほどに、潔く言いきるナオさん。子どもたちそれぞれの感性は、親がコントロールできるものではない。都会と田舎、どちらも経験して、将来的に自分が好きな生き方を選べばいい。それが、ナオさんの考え方。子ども3人のうち2人はすでに家を離れて、自分の道を歩み始めているという。ーつづくー(取材・文/家入明日実 撮影/菅原正嗣)