阿寒古道-3
前田家の人々が伝えてきた「一歩園精神」。それは、正名が座右の銘としていた「物ごと万事に一歩が大切」という言葉に集約されている。たかが一歩、されど一歩。小さくも大きくも踏み出せるその一歩を、どの方向にどんな意志を持って進めるかは、当然のことながら人それぞれだ。守るための一歩が、時に他人の目には傲慢に映ることもあるかもしれない。今からおよそ100年も前に、誰が自然環境問題に目を向けたことだろう。森を慈しみ、動植物たちが豊かに暮らす地域を夢見ていた前田正名の精神は、今なお阿寒の森に息づいている。
峠を越えると、植樹の森展望台に辿り着く。これまで見ていたのとは違う阿寒湖と雄阿寒岳の姿があった。眼下には植林の様子も見て取れる。はるか昔にこの道を歩いた先人たちも、この絶景を見て、心がホッと和んだことだろう。阿寒クラシックトレイルでは、この場所でサプライズのムックリ演奏がある。阿寒湖と雄阿寒岳を背に、アイヌ民族の衣装を身に纏った千家さんが、ビョンビョンとムックリ独特の音色を奏でていく。秋の清清しい空気の中、青空に溶けていくリズムが、心地よい疲労感と共に身体に染み込んでいく。
ここからは、まっすぐ山を下れば湖畔に降りられる。長い行程はカヌーへと移動方法を変えて、阿寒湖をぐるりと半周すれば終着の温泉街へ。ボッケを散策するころ、陽はすでに傾き始めていた。
人、馬、舟、汽車、車など。故郷のために尽力した多くの先人たちの汗が染み込んだ「阿寒クラシック」。古い写真や歴史などを参考にしながら歩くことで、今この足元にある道の意味すら変化してくる。歴史上の人物たちが同じ道を歩いたことを思うと、急に親近感が湧いてくる。
奥深い山の中、笹やぶに囲まれたひと筋の道の跡がある。それはかつて誰かが踏みしめ、今はすでに誰も通らなくなってしまった、忘れ去られた道。今も北海道のそこかしこに残されているであろうそんな道に思いを馳せて、私は私なりの一歩を歩んでいこうと思う。―おしまいー(「スロウ vol.43」2015年春号 取材・文/鎌田暁子)