増毛山道トレッキング-3
道すがら織田さんの話を聞いたり休憩したりしながら進んでいるうちに、トレッキングコースも折り返し地点まで到達していた。昼食休憩の場所として用意されていたのは駅逓の跡。「武好駅逓」と呼ばれたこの駅逓には、かつて、北海道の名づけ親である松浦武四郎や登山家の伊藤秀五郎、山岳画家の坂本直行らが訪れ、著書やスケッチに当時の記録を残している。
「一番よく使っていたのは北大山岳部で、部歌の最初に増毛山道が歌われています。この写真も山岳部が撮影しました」と話しながら織田さんが手にしたパネルには、この場所に建っていた頃の駅逓のモノクロ写真が確認できた。昭和16年(1941年)に駅逓が廃止される前までは、登山やスキーをしに行く旅先としての役割が強くなっていたようだ。駅逓跡には木々がなく、トレッキングコースの中では珍しく開けたスペースになっていた。空を見上げると、いつの間にか雲はすっかり消えていて、青空と暑いほどの日差しが私たちを照らしていた。
駅逓からゴールの別苅口までは8キロほど。午前と同じように、所々で織田さんの語る物語に耳を傾けながら黙々と歩く。ニシン漁最盛期、日露戦争、北海道開拓…。これまで話として聞いていただけのバラバラとした事柄が、脳内で繋がっていく。160年前、誰かの手で造られた道、生活のための電信柱や水準点。それらの軌跡を実際に目にしたことで、これまで脳内で寝ていた文字や写真が目を覚まし、動き出したようだ。
別苅口に着いたのは午後4時30分頃。出発から一緒に歩いてきた参加者たちとは、すっかり仲間のようになっていた。息を整えながら思い出すのは、山道やさまざまな生命を抱く大きな大きな山のこと。織田さんが話し終えた後にいつも、美しい鳴き声を聞かせてくれた鳥。その美しい鳴き声が響き渡る森の中には、いかにも冷たそうに透き通った川が流れ、野の花やキノコがひっそりと生命を宿していた。増毛山道は一度は自然と一体化し、そして再び人を運ぶ道となった。そんな人間の歴史を知ってか知らずか、辺りの自然は変わらない表情で、ただ静かに時を刻み続けていた。―おしまいー(取材・文/尾崎友美)
■増毛山道トレッキング-1
■増毛山道トレッキング-2
■増毛山道トレッキング-3