増毛山道トレッキング-1
安政4年(1857年)から昭和56年(1981年)頃にかけての約124年間、人や馬がこの道を往来することで、多くの物語が刻まれてきた。道の名前は「増毛山道」。石狩市の幌という地区と増毛町の別苅地区を結ぶ27キロの本線。そして海岸線の集落、岩尾から本線に合流する支線5キロ、計約32キロの山間の道だ。
以前は石狩と増毛を結ぶ唯一の陸上の移動手段として使われていたが、海岸線に国道が開通してからというものの、立ち入ろうとする人はなくなった。グッと踏み固められた土の中から、時間をかけてひとつ、ふたつ…。植物が芽を出しては増え、やがて周囲の茂みにすっかり溶け込むように…。山道はかつての林の姿に戻っていった。
ところがある時、その存在に気づいた地元山岳会と、道の開削者である伊達林右衛門氏の子孫、伊達東さんが道の痕跡を探しにやって来ることで、約13年間の沈黙の時間は破られる。
山道の開削から160年が経った2017年、彼らの地道な復元作業によって、山道の全線が開通。再び幌から別苅へと山間を抜けられるようになったのだ。復元作業に尽力した山岳会のメンバーと伊達さんは2010年からNPO法人増毛山道の会として活動しており、引き続き山道の整備を行う他、山道の歴史を伝えるフォーラムや、実際に山の中を歩くトレッキングツアーを開催している。
今回筆者が参加したのは、2017年7月下旬に行われたトレッキングツアー。幌と別苅の中間にある岩尾口から入り、途中で増毛山道の本ルートと合流し別苅口まで。全16キロのミドルコースだ。せっかく全線開通したのでフルコースで、と考えていたが、長く発信を続けてきた増毛山道の会には固定のファンも多く、既に満員御礼となっていた。
夏真っ盛りの7月22日、晴天とまではいかないが、薄曇りのまずまず良い天気。歩いているうちに雲も晴れそうだ。集合場所の別苅口に集まった参加者は計14人。最も遠い所では、岡山県から参加している60代の男性がいた。同行する増毛山道の会のメンバーは6人。会長の渡邉千秋さん、事務局の小杉忠利さん、それからこの日のメインガイドを務める織田達史さんが中心となり、ツアーを進行する。増毛山道の会の主要メンバーどうしは、増毛山岳会時代から続く約30年来のつき合いになる。阿吽の呼吸で通じ合うような安定感があり、冗談を言い合っては参加者を和ませてくれる。
昭和初期から30年代まで増毛で栄えたニシン漁の話や、この辺りの地形の話などを聞いているうちに、山道の入口に到着した。林道から入れるようになっている岩尾口の始まりに、丸い赤色の看板があり、白い字で「I1」と書かれている。岩尾の頭文字の「I」。ここから別苅口にある「I100」を目指すのが、今回のトレッキングコースだ。
山道は登山道とは違い、山頂を目指さない。人が歩いて移動するための道なので、急な上りや下りを避けて、できるだけなだらかに、疲労が溜まらないように造られている。「開けた場所があまりないから景色は良くないんだけど、いかにも山道だな〜っていう感じがいい」と話す渡邉さんの声に期待を寄せつつ、一行は山道を歩き始めた。ーつづくー(取材・文/尾崎友美)
■増毛山道トレッキング-1
■増毛山道トレッキング-2
■増毛山道トレッキング-3