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それでも、大志さんは動き続けた。実家のある福岡に行くことも考えたが、「西に行けば行くほど、原発事故は他人ごと」と考える人が多かった。そこで生きていくのは辛いと思うからと、今度は愛さんの実家のある函館に目を向ける。ある本を開くと、七飯町で山羊を飼い、チーズ造りをしている山田農場のことが載っていた。生き方そのものに惹かれると同時に、青森の大間原発に対して、明確に「ノー」と言っていることに、夫妻は「自分たちに寄り添ってくれているように」感じられたという。山田農場の見学に訪れたのは、2014年3月のこと。夫妻の気持ちはほぼ決まりつつあった。
一度、栃木に戻ると、ゴールデンウィークに開催される益子の陶器市が迫っていた。夫妻は準備に追われ、移住計画はうやむやになりそうだった。しかし、大志さんの決意は固く、ひとりで段取りを済ませ、フェリーの予約もしてしまう。愛さんの心はそれでも揺れ動いていた。仲間たちと別れるのがほんとうに辛かったのだ。迷い続ける愛さんの背中を押してくれたのは、他ならぬその育児仲間の女性たち。「いっといで!」。サバサバしている友人たちは見送りの際、フェリーの中で食べるようにと愛さんに包みを渡す。包みの中には手紙が入っていて、「私たちの保養所になるようなところを作ってね」と書かれていたという。6月。北海道の夏が始まろうとしている時季。東京、栃木、北海道。藤吉夫妻、3度目の移住先での暮らしは、こうして始まろうとしていた。
話を聞きたいからと、藤吉夫妻に連絡を入れていた8月中旬。大志さんが近々、「ひとり陶器市」を開く予定だという。話しぶりから察するに、きっと、2人にとって「特別な日」に違いない。
七飯町に移り住んだ翌年の春、栃木から七飯町に窯を運んだものの、使えるようにするまでには時間がかかった。元々がガス窯だったから、薪で焚けるように改造しなければならない。すぐには現金収入にならないからと、大志さんは、まずは愛さんの食品加工施設を建て始める。愛さんがシロップやパン、焼き菓子などを作れるようにするためだ。ここでも、役に立つのは栃木時代、師匠から習った大工仕事の技術。大志さんは借りられることになった古民家の床や壁に自分で手を入れ、すでに快適な住空間を造り上げていた。
持ってはきたけれど使えない窯を前に、大志さんは自分で何とかしようと考え、手を加えていく。プロパンガスで窯を焚くには、管を引いて窯につながなければならない。費用がかかる上、第一頼める職人がいない。自分でやるしかないのだ。窯に穴を開け、煉瓦を積み直すなどして、薪で焚けるようにするまでに丸2年がかかった。今年の7月、1回目の素焼きを行った。温度の上がりが悪かったと言うが、とにかく焼き上げることができたのだ。ーつづくー(取材・文/萬年とみ子 撮影/高原 淳)