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そろそろ、夏が終わりを迎えようとしている。勢いを失いつつある夏草がこれを最後と生い茂り、オオハンゴンソウやセイタカアワダチソウの黄色い花が道端を埋め尽くす。夏の空気に秋の空気が忍び込み、それでも太陽の光は強烈で目映い。坂道を上ると、刈り終えた麦畑が広がる手前に藤吉夫妻の家が見えていた。敷地には住まいに加え、薪小屋、焼きものの窯が置かれた小屋、そして愛さんが焼き菓子やシロップなどを作る加工施設などの建物が建っている。まもなく3年になろうとしている七飯町での夫妻の暮らしぶりを、それらの建物が無言のうちに語りかけてくる。車の後ろに貼られている「原発いらない」の小さなステッカー。
藤吉夫妻。愛さんは函館、大志さんは福岡県育ち。大志さんが函館の大学に入学したことで、2人は出会う。大学を卒業すると、大志さんは東京の会社に就職する。就職氷河期だったこともあり、「受かったことだけで満足し」、深く考えることなく入社を決めたというが、その会社で8年間を過ごすことになる。満員電車に揺られながらの通勤。残業。出世の階段を登ることに汲々としている上司の姿。精神的に距離が遠く離れている人間関係。ここまでは、都会でのごく普通のサラリーマンの日常を彷彿とさせるが、大志さんの心には入社した当初から、人間関係の希薄な、組織だった企業で働くことへの違和感が芽生えていた。社会人チームに入るなどして、休日にフットサルやハンドボールに汗を流すことでリセットし、かろうじて正常な精神状態を維持できていたという。
愛さんはそんな大志さんを支えながらも、「いつか、やってくる日のために」備えをしておこうと心に決めていた。航空会社、スーパー、パン屋などで働いていたが、お金を貯めたいからと、給料の高い人材派遣会社に勤め始める。
「ほんとうにやりたいことは何だろう」。長い間、大志さんは考え続けていた。大きく言うなら、やりたいことは「自給自足的な暮らし」なのだと、結論はずっと以前に出ていた。「どうやって実現すればいいのだろう」と、方法を探しているときに出合ったのが、「WWOOF(ウーフ)」という集団だった。働き手(ウーファー)を探しているホストがいる。働きたい人がホストとコンタクトを取ると返事が来て、話がまとまれば働き手はホストの元で働ける。
栃木県で野菜を作っているというホストと連絡を取り、5日間ほど働かせてもらう中で、大志さんの心は決まる。ホストは陶芸家でもあり、オーガニック野菜を作りながら暮らしている人だった。滞在中、大志さんは山で落ち葉を掻き、コンポストでの肥料作りをさせてもらう。夜は師匠の手ほどきを受けながらの陶芸。とにかく楽しかった。大志さんは小学生の頃の自分を思い出す。「焼きものを作りたい」と陶芸家に憧れていた時代のことを。
家に戻り、翌朝の食卓で栃木で体験してきたことを愛さんに話すと、「良かったじゃん。やんなよ」という返事。ずっと以前から、愛さんの心は決まっていたのだから、当然の反応だった。学生時代から人望が厚く、人から頼られることの多かった大志さん。加えて、とても器用だったから、「何かをやる人だろう」と、愛さんは長い間思っていた。ーつづくー(取材・文/萬年とみ子 撮影/高原 淳)