シミー書房の本づくり-2
さらに2017年には、「シミー書房の本」として、改めて美術館にも展示されることに。今度はもちろん、誰でも触れられる作品として。
新明さんの詩は、本になることで初めて陽の目を浴びることになった。「いつか誰かに見てほしかった」と言うその詩のほとんどが、20代の頃に書いたもの。
「昔書いた詩は、自分のものではないんです」と、新明さん。環境や感情が今と違うならば、それはもう自分の言葉ではない。時間という距離があるからこそ、ひとつの素材としてその言葉と向き合うことができるそうだ。
最近の「しらくも村」シリーズなどは、本のために新しく書き下ろした物語。新明さんの言葉を借りれば、「環境も感情も20代とは変わっている」はずなのに、物語から受ける印象は昔とあまり変わっていないように感じる。新明さんの芯にあるものは、20代の頃から大きく変わってはいないのかもしれない。
ふたりの本づくりの過程は、たすき掛けのような行程を経る。岡部さんは新明さんの詩を選び、新明さんは岡部さんの絵を選ぶ。ふたりが互いの作品を選び合うことで、予想だにしなかった化学反応のようなものが起こり始めるのだという。
たとえば、「おしゃべり」というタイトルの作品。
この詩を受けて岡部さんが生み出したキャラクターは、なぜか指揮棒を振り回す鳥の指揮者だった。その理由を尋ねると、「なんでだろう。たまたま指揮者が描かれていた」と、困ったように岡部さんは言った。
「まさか指揮者の絵になるなんて」と、新明さんが笑う。そんな意外な出来上がりを見ることが、新明さんの楽しみのひとつでもある。
岡部さんは詩に挿絵を描いているわけではない。それは「本にしていく感覚」なのだと言った。シミー書房の本は、詩と絵が合わさって初めてひとつの作品として成り立つ。
自分がこうだと思うものを、相手もそう思うとは限らない。たとえずっと一緒に暮らしていたって、すべてが同じになっていくわけではない。相手との違いを受け入れ、さらにそれを楽しむ。信頼関係の、その先にある深い関係性が見えてくる。
「この詩を絵にできるのは自分しかいないと思ってやっています」と、岡部さんが静かに口を開く。「新明の詩を長く読んできた自分が、絵で解釈して他の人に手渡すというのが、私にできることだと思います」。
作品づくりの行程を知ってから本を読むと、岡部さんのクスッと笑わせるような絵が違った風に見えてくる。パートナーの昔の言葉に、解釈を加え絵にする。喜びも、悲しみも、全部ひっくるめて受け止めているように思えてくるのだ。岡部さんの絵は、さらにそれをほほえみに変える力を持つ絵。
もっとも、岡部さん自身は絵を描く過程を「覚えていない」と言っているのだけれど…。
■シミー書房の本づくり-1
■シミー書房の本づくり-2
■シミー書房の本づくり-3