2021 Jan
28

Hütte【ヒュッテ】-3

親方とおかみさんが2人で営む、七飯町仁山の小さなパン屋さんのお話。

「自分のやりたいことしかやってない」と、口を揃えて断言する2人。しかし、60歳を過ぎて(正確には63歳から)始まった親方とおかみさんの新しい毎日は、いわゆる世間一般の「悠々自適な引退生活」とは異なっている。暮らしぶりこそ理想の田舎暮らしに近く、そういった意味では誤解されがちだが、今でも早朝(深夜)に起床してパンを焼き、カフェメニューの仕込みをし、オープン直後から訪れる客を受け入れ、翌日の準備をして、家事を済ませて床に就く。たとえば時間的余裕をたっぷりと持っていることを「老後の生活」のステータスとみなすなら(事実そうした風潮は今なお根強いと思う)、2人はそれに当てはまらない。

「ここに来てから無理はしてないの」とおかみさんが口にすれば、「俺は無理してるけどな!」と工房の奥から親方が笑いながら応じる。そんなやりとりの中には、30年以上の継続の中で身に付けた、暮らしと仕事のバランスをコントロールする独特の肌感覚がある。

「小さな単位で経済が回っていくことを知るようになる」。60歳を過ぎてからの仕事観について、親方はそんなふうに表現してくれた。「30代、40代のうちは広く世の中のことを考えるとき。函館経済はどうすれば良くなるか、なんてことを考えて仕事をする」。ところが、徐々に見方が変わってくるのだという。端的に表現すれば「世代交代」という言葉になるのだろうが、大勢に影響を与える役割から、より小さな循環、「自分の生活している範囲で充分だと思えるようになる」そうだ。それは、やりたいことやできること、そして自分の果たすべき役割が明確になり、動き方がシンプルになるということかもしれない。楽して暮らすとか、責任が小さくなるということではない。

 今の親方とおかみさんが実践している暮らしは、「自分の時間を使って(手間をかけて)、自分たちの生活をつくる」こと。自分の時間をめいっぱい他人のために使ってきた期間を卒業して、これからは自分の時間を使って自分の分を稼ぐ。パン職人がひとり、カフェ店主もひとり。一人ひとりで自立できる範囲で商売を営んでいく。「毎日何をやるか、自分の時間の使い方を自分で決める今が、最高にしあわせ!」自由と背中合わせにある責任を前にして、おかみさんはどこまでも屈託なく笑う。「楽しく努力して、一緒にやりたい人とやりたいことをやって、よそ様に迷惑をかけない。それだけだね」と、親方も。

食べものを通してコミュニケーションを取ること。それが今の2人に共通する喜びだ。「お客さんが来て、その人たちをもてなすことが重要。人との繋がりが自分たちの栄養みたいなものだから」。自ら選び取る毎日を身の丈を知り満足して過ごすことができたなら、結果として引き受けることになる辛いことや苦しいことも幸せの一部分として受け入れられる。

「こういう質問をされたからこんなふうに答えているだけで、別に四六時中生き方を真剣に考えているわけじゃないよ」。事もなげに笑い飛ばす親方と、傍らで微笑むおかみさんの話には、きっと他にもいろいろな深みがあるに違いない。ヒュッテを訪れる多くの人は、パンと一緒に何か別の大切なものを手に入れて帰っていくのだろう。またいつか、温かいスープとパンに癒やされながら2人の物語に触れる日を心待ちにしつつ。ーおしまいー(取材・文/片山静香 写真/菅原正嗣)

Hütte【ヒュッテ】-1
Hütte【ヒュッテ】-2
■Hütte【ヒュッテ】-3

話の主は…

Hütte【ヒュッテ】

七飯町仁山461-6 TEL.090-8909-0711

営業時間/9001800

定 休 日/火・水曜

きょうの話は…

雑誌「northern style SLOW」vol.54 winter 2018より

http://www.n-slow.com/books/books-8619

※「northern style スロウ」は、2004年に創刊した北海道発の季刊誌です。
大自然の恩恵を受けながら、丁寧に心豊かに暮らしている人々を、これまでにたくさん取材してきました。
できるだけ多くの方々に伝えたくて、少しずつですがWeb Magazineで紹介していきたいと思います。
毎週月曜日に1話ずつ。ぜひお楽しみください。
http://www.n-slow.com/concept

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